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終活と一口にいっても
「まだ若いし、イメージないわー」とおっしゃる40代50代の方は多いです。
人が死ぬとき、その死に方やタイミングは選べません。
寿命で老衰、という方はごくまれ。
事故なのか病気なのか、ゆっくり死ぬのかあっという間に死ぬのか。
誰にも予測できないし、決めることもできません。
どんな死にざまであっても、
を問い続けることによって、死を迎えるその時の満足度を上げることが可能です。
4~50代は突然死に備える
周りが救護を呼び、AEDを使って心拍再開しました。
倒れた方は幸い、お知り合いといらしていたので、一緒に救急車に同乗していかれましたが、
「もし単独観戦だったら?」
「旅先だったら?」
治療や延命に関する意思表示はどうするんだろう?と考える機会になりました。
※倒れた方は意識回復した状態で搬送されたので、たぶん大丈夫だったと思います。
記録と想いを残す
とにもかくにも日々片づけ
余計なものは持ちすぎず。
見られて恥ずかしいものも残さず。
もし突然救急車のお世話になっても、恥ずかしくない下着を身に着けておきましょう。ヨレヨレのブラやパンツを見られるのはちょっと…ですよね。
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私の実両親
2人ともまだおりますが、70代後半になりました。
今までのブログなどをご覧の方はご存じかと思いますが、とても良いとは言えない間柄です。
さてそんな母は、骨髄腫かなんだかがわかりまして、昨年入退院を繰り返し、抗がん剤治療をしていました。
で、ほんとかどうかよくわからないけど、完治したと本人は言ってます。
それでも予防として、定期的に通院して何かしら治療をしているようです。
衰える母
運転免許はかなり前に返納してもらいました。
と言うのは、まず5~6年位前に、母は当時保育園児だった私の息子たちを乗せて車を運転していて、対向するとき脱輪しました。
またその後、なんと電動自転車でも派手に転んで肩を骨折、入院手術となりました。
さすがに他の家族も「一人で外に出すのは危ない」と思ったようで、免許返納に至りました。
元々、長くうつ状態にあり服薬治療を続けていますが、近年は躁うつ病という診断に替わって、良い時も悪い時も自制が利かないように見受けられます。
私は母とは関係が良好とは言えませんし、また離れて暮らしていることもあり、私ができること・したいことというのはあまりありません。
たまに会うだけでも非常に傷つけられるし、できればもう会いたくないなと思ったりします。
とはいえ一緒に暮らしている妹にはかなりの負担です。
彼女は介護職ですが、プロとはいえ実親では気持ちも違います。
仕事として給料をもらうわけでもないのに、遠慮や配慮がなかったりする母に対して、よく怒っています。
母は、思考にしろ衝動にしろ、数年前から問題ではありましたが、ここのところそのブレーキ性能は機能していないのでは?と思うほど、いろいろと自制しにくくなっているような感じを見受けます。
妹に相談せず勝手に決めてしまって、勝手に実行して、周りは後から知るということが多発しています。
自分勝手が過ぎるのですが、父は「やりたいということはかなえてやりたい」派なので全く制御できておりません。
妹は相当の実害やストレスを被っているわけで、どうにかしないといけないところです。
それに加わってきたのが、本人も自覚するような、脳の認知機能の衰えです。
急速に老いを感じ、忘れてしまうことの恐怖を訴え「老いるのはいやだ」と言っているようです。
でも、今後の自分について1番不安に思っているのは本人。現状を必死でなんとか受け入れようとしながらも、なかなか受け止めきれずにいるようです。
実はヤバい両親
父も母も、一見普通に見えますが、実はかなりのコミュ障で友人も少なく、約50年一緒に暮らしていても、夫婦あまり理解し合えてないと感じています。しかし父は、できる限り母の希望を叶えたいという覚悟を決めているようです。
そんな2人なので、私たちきょうだいで何とか支えられるところは支え、本人たちの望みに近い形で、まぁまぁええ感じに人生の幕を引いてもらえたらええんちゃうかな?とフォロー体制を取ろうとしているところです。
父は抱え込んでしまうタイプ。
でも介護はそれではうまくいきません。
同居の妹や、別に住んでいる弟と、私、できる時にできることを協力するという意思は表明しています。
弟が、「どうにもならなくなってからというよりは、困った時にすぐ問題共有してほしい」と伝えました。
これからどうしていくのか
一昨年、ようやく家族LINEを弟が作るという、バラバラだった実家。
私ができることというのは、ガッキーとの「よりよく生きるための終活講座」を通じて知り得た知識を活用すること。
両親が今できることを伝え、具体的にやっておくことをアドバイスしたいなと思っていましたが、母には撥ねつけられました。
まぁ、妹の言うことも聴かないんだから、私の話を聴かないのはしょうがないですよね。
とはいえ、何もしないわけにはいきません。
今の母と、近い将来の父の、不安解消に役立てばと書籍 『認知症世界の歩き方』の紹介をしました。
家族でこれを読んでおけば、本人たちだけでなく、私たち子どもも、今後起こり得る状態を共有することができます。
いざその時が来た時に対処する術を持ち、また寄り添う準備をしておけます。
実は前々から興味深いと思っていた『認知症世界の歩き方』ですが、自分の身内がこういう事態になったので、やっと私も購入の決断をした次第です。
死ぬとは生きること
うちの親もそう、私自身もそうですが、「いつどんな風に亡くなるか」は誰にも選ぶことはできません。
でも「それまでどう生きるか?」は選ぶことができます。
誰でもいつかは死ぬのであれば、今何をしておけばいいのか、この先どんなものが必要か、または必要でなくなるのかを知っていれば後悔も減らせます。
私は、親のため、というよりは、ご自分のために、終活時間をとられることをお勧めしています。
私の情報があなたのヒントになりましたら幸いです。
では、またー。
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とはいえ何から始めたらいいかわからない
真っ先にやったほうがいいこと
あなたが納得して幕引きができたら本望
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新年あけましておめでとうございます。
不吉でも縁起の悪い話でもなんでもない
決して先延ばしにはできない話
タブー視される死の話題
角を立てずに話題にするには
その場ですぐにできる小さなこと
納得して幕引きができたら本望
私の情報があなたのヒントになりましたら幸いです。
では、またー。
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夏休みも終盤です。
天候が例年になく荒れていて、気が休まらない地域の方もいらっしゃるかと思います。
命あってこそですので、お大事になってください。
さて、今まさに私が直面していて必死で乗り越えたいこと、それが課題の分離。
8月に入って以降、まぁ宿題をやらない息子たち。
明日の登校日に提出する宿題がほぼ真っ白。
「私の宿題じゃない」と何度も自分に言い聞かせているけれど、ずっと動画を見てゲームをやって、タガが外れっぱなしの息子たち(特に次男は今までよく自制できていたのにもう壊れてしまったと感じとても悲しい)を見るのが苦痛。
その様子を見ないようにと外で仕事してみるも、帰宅後の怒りが倍増したのでよくないなと。
そんなところに 植木 希恵 さんのブログ。きらぼし学舎
アドラー心理学を扱った「嫌われる勇気」からの省察です。
大好きな桔平さまのセリフで諭されると、当時ドラマ観てたはずなのに、今改めて沁みます。
課題の分離とは、子どもに「宿題しなさい!」と言わないこと。
宿題は子どもの課題だから。
人の課題を横取りしても、お互い良い結果にはならないということです。
自分の課題に気づいて、ひとつひとつクリアしていく以外に本人の成長はありません。
私の迷いや葛藤があなたのヒントになりましたら幸いです。
では、またー。
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今日のよかった
私が時折読み返すVIAーISの解説書「強みの育て方」を監修された、松村亜里さんのお兄さんが、
安曇野でおぐらやま農場を経営されているそうで、なんとご自慢の桃が豊作すぎてとても捌けないという嬉しい悲鳴。
亜里さんから拡散された情報が私にも届き注文、先日届きました。
まだ出荷を待っている品種もあるようなので、気になった方は今年の注文をお早めに!